原爆

原爆のメカニズム


物質を構成している原子の中心にある原子核を人工的に壊すと、大量のエネルギー(高い熱や人体に危険な放射線)が放出されます。ウラン235(またはプルトニウム239)の原子核は、1個の中性子がぶつかると分裂し、この時2個から3個の中性子が飛び出すと同時に、膨大なエネルギーを放出します。
 飛び出した中性子は、別のウラン235(またはプルトニウム239)の原子核にぶつかり、同様に分裂し、エネルギーと中性子を放出します。
この核分裂がごく短い時間に次々と広がると、瞬間的に非常に強大なエネルギーを生み出すことになります。この原理を兵器として利用したのが原子爆弾(原爆)です。
参考HP・画像:原子爆弾の原理

原爆の被害

原爆によって発生したエネルギーの内訳↓

画像:原爆の被害

熱線の被害

  爆発と同時に爆発点の温度は摂氏100万度を超え、空中に発生した火球は、1秒後には最大直径280メートルの大きさとなりました。この火球から四方に放出された熱線は、爆発後100分の1秒から約3秒間、地上に強い影響を与え、爆心地周辺の地表面の温度は摂氏3,000~4,000度にも達しました。(鉄の溶ける温度は摂氏1,536度)
   強烈な熱線によって焼かれた人々は重度の火傷を負い、多くの人が亡くなりました。火傷は熱線に直接面していた部分にのみ生じており、爆心地から3.5キロメートル離れたところでも、素肌の部分は火傷を負いました。また、爆心地から600メートル以内の屋根瓦は、表面が溶けてぶつぶつの泡状になりました。樹木への着火も多く、約3キロメートル以内では、電柱、樹木、木材などが黒焦げになりました。

引用:広島市/熱線による被害

爆風の被害


原子爆弾の爆発の瞬間、爆発点は数十万気圧という超高圧となり、まわりの空気が急激に膨張して衝撃波が発生し、その後を追って強烈な爆風が吹き抜けました。 衝撃波は、爆発の約10秒後には約3.7キロメートル先まで達し、その圧力は爆心地で1平方メートルあたり35トン、最大風速は秒速440メートルに達するという強大なものでした。爆風がおさまると、中心部の空気が希薄になり、周辺部から爆発点に向かって強烈な吹き戻しがありました。 爆心地から半径2キロメートルまでの地域では、爆風により木造家屋はほとんどが倒壊し、鉄筋コンクリート造の建物も、崩壊はしないものの、窓は全部吹き飛ばされ、内部はことごとく焼失するなどの大きな被害が生じました。 爆風により人々は吹き飛ばされ、即死した人、負傷した人、倒壊した建物の下敷きになって圧死した人が相次ぎました。

引用・画像:広島市/爆風による被害

放射線の被害

原子爆弾の特徴は、通常の爆弾では発生しない大量の放射線が放出され、それによって人体に深刻な障害が及ぼされたことです。 放射線は、人体の奥深くまで入り込み、細胞を破壊し、血液を変質させるとともに、骨髄などの造血機能を破壊し、肺や肝臓等の内臓を侵すなどの深刻な障害を引き起こしました。   放射線による障害は、爆心地からの距離やさえぎる物の有無によって、その程度が大きく異なっています。爆発後1分以内に放射された初期放射線によって、爆心地から約1キロメートル以内にいた人は、致命的な影響を受け、その多くは数日のうちに死亡しました。また、外傷がまったくなく、無傷と思われた人たちが、被爆後、月日が経過してから発病し、死亡した例も多くあります。 さらに原爆は、爆発後、長時間にわたって残留放射線を地上に残しました。このため、肉親や同僚などを捜して、また救護活動のため被爆後に入市した人たちの中には、直接被爆した人と同じように発病したり、死亡する人もいました。  被爆直後から短期間に現れた熱線、爆風や放射線による一連の症状を急性障害といい、吐き気や食欲不振、下痢、頭痛、不眠、脱毛、倦怠感、吐血、血尿、血便、皮膚の出血斑点、発熱、口内炎、白血球・赤血球の減少、月経異常などのさまざまな症状を示しました。  これらは全く新しい病気ではなく、放射線の影響や食糧事情などにより、外傷がさらに悪化したり、病原菌への抵抗力が減退して発病したものや、また、外傷がなくても、脱毛や出血症状、白血球の減少といった症状が現れ、多くの人が死亡していきました。  急性障害は、約5か月後の12月末にはほぼ終息し、原爆の影響はこれでおさまったと考えられました。しかし、放射線の影響はこれで終わるものではありませんでした。

引用:広島市/放射線による被害

死者数

被爆当時、広島には約35万人の市民や軍人がいたと考えられています。これは、住民、軍関係者、建物疎開作業に動員された周辺町村からの人々などを合わせた数字です。当時日本の植民地だった朝鮮、台湾や、中国大陸からの人々が含まれ、その中には強制的に徴用された人々もいました。また、少数の、中国や東南アジアからの留学生や、アメリカ軍捕虜などの外国人も、含まれていました。 原爆によって死亡した人の数については、現在も正確にはつかめていません。しかし、放射線による急性障害が一応おさまった、昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が死亡したと推計されています。 爆心地から1.2キロメートルでは、その日のうちにほぼ50%が死亡しました。それよりも爆心地に近い地域では80~100%が死亡したと推定されています。また、即死あるいは即日死をまぬがれた人でも、近距離で被爆し、傷害の重い人ほど、その後の死亡率が高かったようです。
引用:広島市/死者数について

原爆の動画


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